2018年1月15日月曜日

工事人、嘘つかない?

現在開催中のサンドニのHCEギャラリーのグループ展。左が私の「雨の絵」

今日は午後からアトリエの窓に叩き付けるような風雨。折角グループ展で雨の絵を展示し、前回「黄金の雨」のことを投稿したしで、「腕を落とさない」為にも久しぶりに雨の絵をと思ったのだが、いつも使っていたベストの紙はなく(これは画材店からある日突然消えてなくなってしまった)、セカンドベストの紙をサイズに切ったが半固定様のテープがなく、まあこれはどうにかなるが、新しい絵の具のチューブを絞ってびっくり。硬くなった絵の具しか出て来ない。「秋の特売」で買ったのだけれど、勿論そんなことは想定外で領収書なんか捨ててしまっているし、地下鉄で画材店に往復する分損をする。もう「雨の絵はやめろ」との天の思し召しかと思っていたらアトリエ内で雨の音がポツポツと。窓のジョイントが甘くなったのか窓の下の張り出し部分に水滴が。まあ大したことはないのだが、近くの絵をだけは外し、一応床にバケツ。

ところでこの私のアトリエ、例年より暖かいと言われるこの冬でも私は昨今文字通り「寒々」とした生活をしているのだが、それを知らない人は初めて来ると「広くて素敵なところじゃない」ときまって言う。それが年末に排水管の問題で来た配管修理工が入ってくるなり言った言葉は「あんたとこは狭いねー」。ええっと驚いたが、彼は隣のアトリエを知っていて、確かにそれに比べると60%ぐらいしかない。別に私本人、隣のアトリエの間取りより私のところの方が使いやすいと思っているので言わずもがななのだが、意外な「開口一番」に憮然として「お隣さんは映画の仕事しているから本当は広いアトリエなんか必要ないのに」とかこったところ「そうそう」と相づちを打たれ、、、修理工は何でも知ってるみたい。

修理工に褒められたデッサン
それから同時期にインターフォンの取り替えに全アパートを回っていた電気配線工は玄関の間に飾ってある、私自身も出来がいいと思っているデッサンを絶賛してくれた。彼の趣味は知らないが、他のアトリエも知ってる工事人、こういうことには正直そうなので喜こんでもいいだろう、多分(笑)。

アトリエでは大晦日に、恒例になった感もある大パーティー。その時はガラスで保護されていない海水デッサンは「お蔵入り」し、古い作品や「蒐集品」を飾るのだが、箱の中に残っていたガニーの個展用の蝶々の残りが見つかったので天井から吊るした。

短命に終わった我が家の正月展示
この内装で「1月中はくつろごう」と思っていたのだが、グループ展の作品選びも壁に飾った方が簡単だから取り外され、明日は見に来る知合いがいるのでまたちょっと模様替え。

こんな作品の入れ替えばかりしていると隣ぐらい広いほうがいいかなァーなんて思わないこともないけど、家賃も高いだろうし、ここで分相応。それどころか子供時代の二間しかなかった公団住宅や四畳半の下宿生活を思い返したら今は天国、雨漏りはあっても寒くても風神雷神にも「メルシー」と手を合わせて拝むばかり。


関連投稿

サンドニの画廊への出展は2度目で前回の投稿は
2016年4月10日 今度はサンドニ!

修理工に褒められたデッサンはイタリアのブサーノの廃墟と化した教会で、ひょっとしたら職業柄こういうの見ると工事したくなるのかも。これに関しては
2014年8月31日 ブサーナ

2018年1月10日水曜日

黄金の雨

「黄金の雨」 お正月らしく縁起の良い華やかな話題?と思う人は私のブログの熱心な読者にはおられないだろう。結論を先に言ってしまえば「フランス語は難しい」というお話。

私の「雨の絵」の中で雨粒を金色にした時期があるのだが(右写真、実際にはもっと青が暗い)、これを私は "Pluie dorée" と呼んでいた。doréは「金色の」という形容詞で何も疑問を抱いていなかったのだが、今朝何気なくpluie doréeをグーグルに入れてみたら意外なことに「彼女におしっこをかけて楽しむ(?)」という性行為がトップにずらりと並んだ。「貴男のコンピューターだからで私のPCではそんなもの出て来ませんよ」と言われるのが怖いが、、、実際そうなった。

作家の意思としては「雨」イコール「憂鬱」のような否定的イメージがあまりにも強すぎるので、「豊穣の雨」というイメージを作り出す為に華やかに下地を金色にしたのだったが、金色は青と同じく「私が真似している」としばしば誤解されるイブ・クラインの好きな色であるし*(余計誤解されそう)、それ以上に西欧絵画史上繰り返し描かれる、「黄金の雨」となってダナエの元に忍び込んだゼウスの神話の「大人気モチーフ」でもあるのだ(ウィキ)。ゼウスはダナエを孕ませたのだから「性行為」の方に近いのかなとも思いつつ、ゼウスの化身の「黄金の雨」はフランス語でどうか書かれているか見てみると pluie d'or で逐語的に「金・の・雨」。当然ながら「何とかの雨」というのは「何とか」が沢山降り注ぐ比喩的表現で、そう思うと降り注ぐのは「金」そのもの。改めてヨーロッパの名画を見ると、分かりやすい例として近代のクリムトの絵をここであげると(写真)、まるで「スロットマシーンでビンゴ!」とでもいうように金貨がザラザラ、お正月らしく景気よくなったが、そこだけみればポエティックでは全然ない!(クリムトは勿論見る人をそんなことには注目させない妖気溢れる絵を描いているので偉いのだが、、、。)

私は金貨でも金の破片でもおしっこでもないもっと違う漠然としたものを頭に描いていたので、どちらをタイトルに選ベよいものやら分からなくなったのだが一応「絵画史」に重きを置き20枚ばかりのシリーズのタイトルを書き直した。ちなみに英語だと形容詞利用、Golden rain で良いみたい。
しつこく辞書を調べたところ英語のgoldenには「(金の様に)貴重な」という意味はあるが、doréにはなく、表面的に光っているものという感じがする。実際特別待遇で天下りするとかの悪い表現で使われることも多い。

そもそも何故「黄金の雨」を引っ張り出してきたかというと、「天体」のテーマのグループ展に出展するのに、海水デッサンで墨が散って天空のようでもあるが、比較的具象的に「身体」が書かれている作品を提案したところ、そんな風に「天体」に「体(からだ)」をくっつけられるのは私が日本人だからではないかと驚かれ、、、(実際にはフランス語の天体なる語 corps céleste は「天の」(形容詞)+「体」で、漢字表現は直訳なのだが)という話が枕にあるのだが、それにまとわる解釈談、および私の失敗談を加えると長くなりすぎるのでこのへんで。(かつ「黄金の雨」は展示品ではなくて余計複雑になる)

フランス人のインテリは「意味するもの」と「意味されるもの」を云々するが、異邦人の私にはもうひとつ「意味したいもの」というのが入ってきて、、、もうギャップだらけです。(但し母国語の日本語でもそうだと思う)


* 参考記事 イヴ・クラインと私