2016年11月20日日曜日

ことのはじまり

パリの11月は例年「写真の月」(1980年以来2年ごとだったらしい)ということになっていていたのだが、それが仕切り直しで来年春からになるとかで今年の11月は「写真の月」ではないらしい。だがグラン・パレでパリ・フォトというフェアが開かれていたし、画廊でも写真展が多い。だから幾つもの写真展を見たが、、、今日はお友達の紹介。

友達のレアンドロ・ベラ Leandro Berra (website) が、FBI、仏警察が使う「モンタージュ写真のソフト」を使って有志が自分で作った「自画像写真」をグループ展で展示中。実際のポートレートとモンタージュが並べられて、これでは犯人が捕まりそうもないなぁという印象を受けてしまう結果の連続、人間の記憶の曖昧さが主題だが、実は彼がこのシリーズを始めたきっかけが劇的。レアンドロ君はアルゼンチン人。軍事独裁制下の国に残った友人が拷問を受け殺される前に知り合いを密告、その中に自分が名前が入っていたという事実を2002年に知る。そのことを批難するのではなく、友人の苦しみを想像し、彼のことを良く覚えているという事実を伝える為に20年以上び昔の写真ではなく、記憶を通した「モンタージュ写真」でオマージュを考えたのがこのシリーズの始まりだった。

この他グループ展では、火事で真っ黒になった本棚とかを撮った「火好き」の私にはたまらない作品もあったがこの燃えた家は作家(Judith Baudiner)自身の家だとか。
画廊を入ってすぐのGilles Molinier(web)の幻想的な写真は、桑の紙に印画してそれに裏から光を当てて…と複雑な工程を彼は愛する「木」を撮る為に生み出したとか。

この写真展 "Si photographes ..."(駄洒落で6人展です)はパリ12区の Galerie Univer にて12月24日まで

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こちらはもう終わってしまったが*、知り合いでサドマゾ風なエロチック写真を撮るフレデリック・フォントノワ Fréderic Fontenoy (website)の個展もあった。


私が彼の写真が好きなのは鏡の反射や調度品が凝りに凝っているところ。かつ殆どの写真には自分が登場するから気が遠くなる「舞台設定」の仕事なのだが、彼の作品の出発点には自分の祖父がナチの協力者だったという大ショックがある。日頃は硬派の政治ジャーナリストの飛幡祐規さんが彼のことを有料メルマガのROADSIDERS' weekly 2014/11/19号に記事を書いているので、その祖父の人生のくだりを数行引用させてもらうと、、、

「多才で行動的なフォントノワ(注:祖父のこと)は貧しい環境に生まれたが、国の給費を受けて学業に励んだ。共産主義に惹かれて2年間でロシア語をマスターし、トルストイの『ハジ・ムラート』を訳した。1920年代なかば、ジャーナリストとしてモスクワに派遣されたが、そこで反共産主義者になって中国へ行く。上海ではフランス語の新聞を発刊し、蒋介石の顧問になるが、阿片にはまった。1934年、フランスに戻って小説を書き始めるが、1937年にフランスのファシスト党のメンバーになる。第二次大戦中はナチス協力者になり、最後はベルリンに行って、ヒットラーに先立って自殺した・・・」

この波瀾万丈の祖父は、息子(つまりフレデリックの父)が3歳の時、バレリーナだった祖母と別れたが、その祖母は祖母で、人形を使ったシュールで残虐な世界(反ナチズムの意味も持つ)を創り出したハンス・ベルメール(ウィキ)の愛人だったそうで、、、。こういう超ヘビーな、生まれてもいなかった過去を清算するべく、彼は自身をお祖父さんにダブらせて写真の中に登場し、極めてエステティックであると同時に何か可笑しい「エロスへの支配と服従」の劇を演じ続けている。

レアンドロの作品もフェレデリックの作品も昨今の不気味な時代の流れの中で変に現代性を帯びて来たように思えるが、彼らの作品の発端のドラマを知れば知るほど、ますます「私の蝶々はいったい何なのだろう」とその「耐え難き軽さ」に忍ぶ私なのです(前投稿参考)

会場にて上の写真(最後の晩餐?)の前で、飛幡さん、フレデリック君と

後記:フレデリック君の個展は27日(日)まで会期延長だそうです!
L'expo de Frederic Fontenoy est prolongée jusqu'au dimanche 27 novembre.
LE BALLON ROUGE galerie : 10 Rue des Gravilliers 75003 Paris
Du mardi au samedi : de 12h à 19h & Le dimanche : de 15h à 19h

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