2016年9月6日火曜日

ナントの「良い子」

では前回予告した、ナントの「良い子」のことを書こう。

ナントでは7〜8月に"Voyage à Nantes"という町中の色々な場所を使った展覧会が行われていて(素晴らしいことに多分すべて入場無料だと思う)、友人のS夫婦に連れられて2日間ちょっとつまみ食い的にみたのだが、その中で「良い子」Le Gentil Garçon(直訳すると「優しい少年」かな?)***と名乗るアーティストが改修中の美術館全体を使って大々的な展覧会をしていた。個展と言えば個展だが、彼はナント美術館、自然史博物館、それに会場である県立ドブレ博物館のコレクションに自分の作品を交えて、部屋ごとにテーマ別に博物学的というか、私が良く引き合いに出すキャビネ・ド・キュリオジテ*的な展示をしていたのだが、これが楽しかった! というのは彼の連想、イメージの引き合い+タイトルがとてもユーモアに富んでいるから。

作品の関連はかなり表層的で、例えば「道化師の間」では、大作の往年の大画と思われしが、実は額ごとワトーの作品を撮ってそのまま拡大プリントしたにすぎない、その壁に掛かったような絵の中の道化師のパッチワーク的な衣装の色に合わせて、緑、赤、青テーブルがあり、その色の天然の岩石と熱帯鳥の剥製という自然史博物館所蔵品が飾ってあったりという具合(写真)。この点4月に書いた「尻取り展」に似ているが、それに比べ私の好みの「簡単アート」の自分の作品(例えばグランドピアノ型に切った絨毯の上で2人の子供に白黒の積み木を並べさせて作った作品とか:これは白黒のスペース、写真のシマウマの後方)を取り入れてうまくコンセプトとしてまとめている。言葉でも写真でも平凡になるが、いわゆる「振付け」「照明」が上手で、しっかりビジュアルな落ちどころをおさえ、会場ではその時々に発見の驚きがある。
本棚を押して裏側に行かねばならない、解説文字もすべて鏡像反転された書斎とか、写真のミニュチュアを集めた建物の模型のようなミニュチュア美術館は解説もミニュチュアでメガネをかけても良く読めない、、、とか凝ってます。

「良い子」の専門家と自称するジュリアン・アムルー Julien Amouroux(つまりに「良い子」は彼のコンセプトなのだが)によると「我々はすべての範疇の物体を同じように見ているだろうか? 見られるモノにおいて重要なのは色なのか光なのか形なのか?等々、この展覧会は見るという行為への考察が一番のテーマ」なのだ。同じく彼によると「『良い子』は子供のごとく、世界を記述するのではなく発見する」と言うそうで、、、万事この調子です(笑)
「夜の間」の描き人知らずの絵と結晶

こういう展覧会が大好きになるというのは「現代美術は嫌い」と言いいながらやはり大好きなのかしらと思わないでもないが、私の思うに「良い子」は現代美術界の「逸脱」とか「スキャンダル」というメソッドには無関心、かくして大人たち(業界人)の常識(歴史観)を無力化しているのである。


割れた鏡と古代の土器の「占いの間」
 「良い子」にはHPがありますコチラ、上手く出来ているもののあまりピンと来なかった。でも√2€の小切手なんていう楽しい作品があって、、、彼(アムルー君)は数学を勉強したということで、この展覧会でもただの連想ではなく科学的アプローチが薬味として効いていたと思う。
(私もかつては理科系なので一層相感ずるところがあるのかもしれない)。

最近見た中で一番面白い現代美術展だったが残念ながらこの大展覧会「未知らぬものが私をむさぼる(L'inconnu me dévore)」は8/28で終わりました。

最後に:ナントの「良い子」としたが、ナントで見た良い子で、アムルー君はリヨンの作家です

* 注:キャビネ…に関しては
対面のビルの壁にも作品が
 現代「キャビネ ドゥ キュリオジテ」論 続 ...
現代「キャビネ ドゥ キュリオジテ」論

**最近現代アート展ではよくメディアターと言う解説員がいるのだが、この展覧会の若い学生バイトらしきメディアターは担当作品に関する知識をしっかり持っていた。これも私の評価をプラスにしている

***HPの英語ではLe Gentil Garçonがナイスガイとなっており、私には違和感があるのだが英仏堪能な皆さん、いかがでしょうか?  



閉館時間まで見ていたら係員が「擬態昆虫」の世話をするのに立ち会えた
 

0 件のコメント:

コメントを投稿