2014年4月16日水曜日

アルカション旅行案内

先週ボルドー地方に行く機会を得た。美術関係の案内の仕事の後、一人でアルカション(Arcachon)へ行った。別にどこへ行っても良かったので、準備なし、だから頼みはいつもの仏ガイドブック「ルタール(Routard)」(強いて言えば「地球の歩き方」にあたるが、あれよりずっと情報の質が高い。写真皆無)。私同様皆が当てにする人が多いので安価な推薦レストランは満席! まあそれはよしとして、アルカションでは「冬の街」という19世紀の別荘地区と砂丘へ行けとある。別荘街、行きましたが、自分が住める訳でも泊まれるわけでもないし、外からちょっと風変わりな建物を見るのは興味なし。翌日朝バスで隣町の「ピラの砂丘(La Dune du Pyla) 」へ。
左が松林、右が海
石に見えるけど、、、
砂丘につくと長い階段があって、これTVで見たことあるなーと思いながら登ったらなかなか感動しました。砂丘の片側には松林が広がり反対側には海が広がる。何せ100メートル以上もの高さがあるので、松林も砂の急斜面の上からぐっと見下ろす。砂丘の広さは長さ2.7km、幅500m。そのとき視界に入る人影は3、4人で、アラビアのロレンス気分に。足跡が少ない方向へ。砂も固い所があったり柔らかい所があったりして足跡も変わっておもしろい(裸足です)。結局海側に降りることになったが、海岸近くになると、ひょろっと伸びた草が風に吹かれて描いた円形模様があったり(これは前々日に写真掲載)、松の幹が砂から出ていたり(つまり松林が砂丘に浸食された)、それどころか海岸に散らばる石と思われたものが松の樹皮であったのには驚いた。こうして楽しく過ごしていたらバスの時間が迫り、砂丘を急いで登ったら運動不足の脚ががたがたした。先の階段に戻ったら11時頃だったので観光客が一杯、参道の店も開いていた。それを走り抜けてバス停に向かった。(バスは約2時間おき。乗客は私だけだった)

それから推薦はしていなかったがルタールに載っていた観光船で「鳥の島」一周。 観光客の多くの興味は鳥よりも、元来は牡蠣養殖者達の監視所であった高床式の家。潮が満ちると海に浮かぶロマンチックな別荘の感があり、絶賛するファンが多い映画(特に女性。私は駄作だと思うのでよく怒られました)「37度5分(邦題ベティーブルー)」の舞台となった。観光船の宣伝だと大きくその家が写っているので(写真の切符のように)、そのうちもっと近づくのだと思っていたら結局遠いまま。アルカション湾は潮の満ち引きが激しいので航行範囲が限られているのでした(まだこれでも満潮時だったから近づいたとのこと)。その後半島側の漁村を海から見て、つまり小さく湾内を一周する2時間コースでしたが、これは乗ることありません。

アルカション湾は牡蠣産地。だが今回食べて一番美味しかったのはボルドー市内、駅と中心地の間のカプシーン市場(Marché des Capucines)内のスタンド 。安いし庶民的な雰囲気も良いのでおすすめします。

まだ数日旅をする気だったが砂丘に大いに満足して、旅行をやめた(最近は展覧会でも何でもいいものにあたったらそこで止めるのがいいと思っている)。アルカション=パリ直通のTGVがあってシメタと発車間際にチケットを買って乗り込んだのだが、ボルドーで20分以上停車、結局5時間以上もかかる変な超特急でした。これも乗らないように。(そのお陰で「キャビネ ドゥ キュリオジテ」のことが考えられたのだけど☺)

アルカション は私のパリの恩人、故Jさんの故郷だった。彼女のスケッチは松林ばかりだったけど、こんないい所だったとは、、、昔誘われたとき行けばよかった(これは人生ガイド)。

切符
現実

2014年4月15日火曜日

現代「キャビネ ドゥ キュリオジテ」論 続あるいは序

 昨日の投稿、事情を知らない方には解りにくかったと思う。今日の稿を先に書くべきだっただろう。

さて「キャビネ ドゥ キュリオジテ」風な展示に火をつけたのは1989年にポンピドーセンターを主会場として開かれたジャン=ユベ-ル・マルタン Jean-Hubert Martinの「大地の魔術師たち (Magiciens de la terre)」展(左右写真)(現代アート辞典)。そこでは西欧の現代美術作家と北米インデアンの砂絵、インドのタントラ画、アフリカの民族風な大彫刻と世界中のアーティスト(母国で活動中に限る)の作品が一同に展示された(左右写真)。いわゆる「後進国」のアートの呪術性に呼応するようにリチャード・ロングウィキやアンゼルム・キーファーウィキもいつもの作品よりずーっとパワフルな作品を作り、中には当然訳の解らない作品も数あったが、全体にレベルが非常に高い展覧会だった。私の周辺のその頃の作家友達は全員興奮していたが、未だかつてなかった「ごちゃまぜ」企画だったからマルタン氏は八方から痛烈な批判をあび、大変だったらしい(本人の口から聞いた)。今年で15周年、それを顧みる討議会が催されたほどエポックメーキングで、今でも物議をかもしている。

つまりそれ以来「異文化の混合」が様々な形で試みられるようになった。ルーブルやヴェルサイユ宮殿で現代アートが展示されるようになったのもこの系譜である。(当然公式には「混合」ではなく「対話」と言われる)参考:去年の6/15日前後の記事または2008年4月25日とか

ところで火付け役のユベールさんが去年の冬「世界の劇場 (Théâtre du Monde)」という展覧会をパリで行い、1月の最終日ギリギリに見た。すぐに書かなかったのは、期間後では「展覧会案内」にならないし、昨日言ったような疑問が去来し頭の中がスッキリしなかったからだ。
「世界の劇場」展の起源はオーストラリアの富豪デヴィッド・ウォッシュ David Walshのコレクション。彼は古代から現代、世界中の芸術品を蒐集し、2011年にタスマニアに古・新芸術美術館 Museum of Old and New Art (Moma)を建て、彼が大ファンであるマルタン氏に美術展の企画を依頼した(パリの展覧会は彼の美術館のものを会場に合わして焼き直した)。エジプトのミイラのお棺からビデオアート、勿論プリミティブアートはあるし、昆虫の標本からタスマニアの牢獄の錠とか、何でもありの「ごちゃまぜ」世界。「大地の魔術師たち」では作品がモニュメンタルであったり、小品なら同じ作家の作品が沢山飾られ、それぞれの場所を確保していたが、「世界の劇場」は小さな会場に何百点もが置かれるまさに「キャビネ ドゥ キュリオジテ」で、展示も家具を使ったり、ライトが点滅したり、キューレーターの見せ方(コレグラフィー、振り付け)が目立つ展覧会だった。右写真のエジプトのお棺とジャコメティ、ポリネシアの木の繊維の織物のホールなどは荘厳であったが、ホールの分け方もテーマ別で、、、(テーマ展というのは「普通」ですから)。

ところでこの展覧会は家に戻って調べた所、「ウォッシュ氏はギャンブル(ポーカー)で財を成した」ということを発見。この事実が面白すぎて、展覧会自体への興味が急激に薄れたことも今まで報告しなかった理由の一つ。
この展覧会についてはこのリンクのブログ(espace-holbein)を参考して下さい。きれいな写真も一杯、ビデオもありますから。

ところでユベールさんは「大地の魔術師たち」はアフリカなどのアーティストのプロモーションに役立ったのではという質問に対し、「作家の中には『西欧アート市場』に進んで入った者もいるし、それに全く興味を持たなかった者もいる」「彼らのフォローより、世界中にはまだまだ面白いアートが一杯あるから、それを紹介したいのだ」と語っていた。何のかんのと言ってユベールさんは私が理解できる言葉を語ってくれる数少ない気さくなアートディレクターなのです。

2014年4月14日月曜日

現代「キャビネ ドゥ キュリオジテ」論

最近何度か「キャビネ ドゥ キュリオジテ(Cabinet de curiosités)」風な展示について触れた2/163/28。通常の歴史順あるいは地域別の展示という、今までの説明的・教育的方式、それこそが美術館の使命だったのだが、それを古くさいと捨て去る形で「(再)登場」してきた。そこでは時代、地域が離れた作品、現代アート、民族芸術、マージナルアート、いわゆるアートだけでなく、日常品や鉱物なども一緒に、テーマあるいは造形性の関連から並べられることになった。つまり「ごちゃまぜ」展示だが、それがしばしば「観る者がアートを作る」という聞こえのよい現代アートのご神託とともに(再)登場してきた。

かくして「寝かせた便器」にも、強いて言えば「がらくた」の中からも私たちの鋭い視線は芸術性を発見することになった。レディ・メードやインスタレーションを皮肉っているわけではない。それ以上にこの神託は飛躍し「ごっちゃまぜ」の極致である我々の世界自体が素晴らしい芸術の館となり、かくして「アートは人生を興味深くする何か」とか「万人が芸術家」という新たなご神託が生まれた(というか現代アーティストの名言が再起用された)。

勿論私は何でも「観ること」が大好きな人間だから、「ごっちゃまぜ」は結構楽しいし、一介の芸術家面をし、普通の人より楽しく人生が暮らせているのはご神託のお陰かもしれない。

しかし「観る者がアートを作る」(=モノの芸術性は観る人により発見される)という「観手」の心をくすぐる言葉は「真理」でもあり、単なる芸術人の「うぬぼれ」でもある。そもそも「芸術」というのは「我々人間界の事柄」、自然現象により芸術を遥かに越えるような光景が作られたとしても、そこに芸術性を見いだすとしたら。それは私たちの心の彩にすぎない。それは全くの異文化の作品に関してでも同様である。



美術館ができる前は、王様、貴族、富豪が好きなものを集めた。これが多くは「ごっちゃまぜ」の キャビネ ドゥ キュリオジテ であった。これが私が先に「(再)登場」と記した理由だ。

城や豪邸に飾られたそれらの品々を客が見せてもらった訳で、彼らが文化的オピニオンリーダーとして君臨した結果、観手(受け手)はその「教養」「視線」そして「心の彩」を習得し、それに従い、あるいは反発しながら、新たな芸術家が作品を作り、それを新たなオピニオンリーダーが評価し、それを連綿とを繰り返したのだ。現代でもそれは同じ。そしてこの循環は作家がいなければ止まる。だから誰が「作る」かは明らか。加えて言えば、ご神託はわざと誤解を招かすが、「観る者」は単なる「観客」ではない。

しかし昔のキャビネ ドゥ キュリオジテに比べてより多元性を増やした今日の「ごっちゃまぜ」展での主役は作品ではなく、作品をオーケストラする企画キューレーター。「普遍的な美」なるものが存在するとは思えないから、結局のところはキューレーターの好みの反映、心の彩に過ぎない。

こういうのが私の旅行写真で、、、
確かに20世紀後半の美術史は一本化しすぎた。「ごっちゃまぜ」展示はそれに揺さぶりをかけるという意味はあるが、「継承」という視点からは甚だ疑問に感じる。私が「ごっちゃまぜ」を楽しめるのは普通の美術館や民族博物館で一つの視線を養われた結果で、これはキューレーターにとってもそうであろう。だから彼らも「古典的展示」の必要性を完全に否定することは絶対にできないと思う。そうでなければ展覧会は単語をたたいて出てくるグーグルの画像検索ほどのものにすぎなくなる。まさか彼らがそんな現代性を狙っているとは思えない。



砂丘に生えた草が風に揺られて砂に描いた円も「芸術」と見なす私の結論はいたって凡庸:「ごっちゃまぜ」と「古典的」展示は補完的、後者あっての前者なので私は「ご神託」のような大それた現代的解釈をしてほしくないのだ。

2014年4月6日日曜日

政治が演芸だったなら

前回「セゴレン・ロワイヤルを首相にすれば」と書いたが、その冗談は1日の命もなく、月曜のうちに既に若き野心家、社会党のサルコジと言われるマニエル・ヴァルス(51歳)ウィキがほぼ予定通り首相に就任した。住宅大臣をはじめ社会党最右派のヴァルスが嫌いな緑の党は、「環境エネルギー持続的発展相」という重要ポストを提案されたが内閣参加を拒否(それで今は党内が割れているらしい)、なんとその大臣職にセゴレンさんが抜擢されてしまって、、、何と書いていいのか困ってしまう。ロワイヤル女史は発言は脱原発、反シェールガス開発で、私としては期待が持てると言いたいところだが、風見鶏的で、すぐに自己宣伝したがるからどうも信用できなくて、、、。
ともかく日曜日の選挙の大敗からあっという間に水曜日には新内閣が組閣されたわけだ。
大統領のとっちゃん坊や、後には引かぬ若手首相(当然次期大統領を狙う)、かつてミテランの元での最年少首相を勤めた老獪ファビウス(外務大臣、いざとなれば大統領選も狙う)、そして元オランド夫人、即興?スタンドプレーのロワイヤル(おそらく彼女も大統領の夢は捨てていないだろう)、加えてトビラ法務大臣、モンテブール経済大臣は首相と意見の合わない強気の性格俳優、どんな舞台が繰り広げられるのか? 「政治が見せ物」ならこれほど楽しいキャスティングはなかなかないかも。それも今から3年間も楽しめるなんて〜☃ もうタマリマセン