2017年2月18日土曜日

時の視覚化


前回前々回と続くことになった日本女性作家三傑の最終回、「気配の痕跡を用いて時を視覚化する」* 宮永愛子の巻。
これは現在開催中ではなくて、、、

昨年の秋の帰国時開催されていた愛知トリエンナーレの美術部門が面白くなかったことは既に書いたが(16/10/24)、同時期に奈良でも「古都祝奈良」というイベントがあり、知り合いと遠足、そこで宮永の作品を見た。

ツタに覆われた壁がいかにも歴史に忘れ去られたという風情の布の染物屋の倉庫跡。入ると黒い地面に机と道具が置かれていて、トタンの錆も何とも言えぬ味わい、場所の魅力(?)のみと思いきや、天井を見上げるとまだらに淡い色彩の付いた布がぶら下がっており、机、道具のある所は影の様に色ぬきになっている。この奈良の企画はどこでもちゃんと「説明員」がいて、天井の布は地面に染み込んでいた染料を机の上にあるガラス瓶の中にあった「酢酸」で布へ吸い上げたものとの解説を受けた作品解説サイト


私が彼女の作品を初めて見たのは、塩田千春、内藤礼に比べると最近で、2008年、小学校がアートセンターになった京都芸術センターにて。海外からのアーティスト・レジデンスもしているとのことで、殊勝にも友人作家のF君とJ君の資料を携えて宣伝にでかけたときに丁度個展がなされていた。塩が結晶した糸が張られた空間、もう一つはと時間とともに消えて行くナフタリンのオブジェを飾った空間。その頃私は野外設置で自然に朽ちればよしとする作品制作を多くしていたので、勿論ナフタリンのアイデアにはとても共感を覚えたが、ちょうど「塩のドローイング」の第一期の作品も名古屋のLギャラリーで見せていたところだったので一瞬「やばい!」、宮脇愛子は他に何をしているのだろうとかなり心配になったのだった。
だからその後結構フォロー(というか彼女がますます活躍し出したにすぎないが)、 パリの日本文化会館、愛知トリエンナーレ(2010)、そして去年の秋は奈良に加え、京都のセンターも見た。京都では塩田千春とモチーフとして共通するような鍵の秘められた鞄のほか、ウユニ塩湖やソルトレークなどの塩スポットを旅行した写真があって、「あれ、またやられちゃった」(?)という感じだが、人から海水も岩塩ももらっている私には大旅行の余裕はないので、ここはあっさりコンセプトの違いということにしておきましょうか(笑) こういう風に、おこがましいが、私と彼女の作品とは重なる所が多くて、自分のことを書いてしまうのでコメントしにくいのだ。

さて話を奈良に戻すと、「塩、ナフタリン、それに酢酸かー、化学に強いのだなー」と感嘆したのだが、フェースブックの彼女自身の投稿によると酢酸ではなく水で色素を地面から引き出したとのこと(「酢酸」は私に同行の二人も同意してくれているので私の空耳ではありません)。何れにせよ彼女は染色屋倉庫跡のただの黒い地面からその場のかつての歴史を見事に抽出・発掘した。素晴らしい発想ですよ。サイトスペシフィックと唱える作家は多いけど、こういう風に本当の意味で「場所固有」な作品ができる人はなかなか少ないですので。

この「古都祝奈良」というイベントの美術部門では、他には黒田大祐の神社の石が長い人生(笑)を語ってくれるサウンドインスタレーションが奇想天外で可笑しかったけど、地味と言うか、あれをつきあって聞く人は少ないかも。西尾美也の古着とそのボタンを使った作品はキレイだった。展示スポットが離れて点在していて不便と言えば不便だが、愛知トリエンナーレみたいにやたら多くなく、町並みを巡っての作品探しは楽しかった。見た作品がハテナ?でも観光で許してしまえるところがあるのはやはり奈良と言う街の魅力ならだろう。但しお寺の拝観料には閉口しましたが、、、。
 
黒田大祐、西尾美也の作品も宮永愛子の作品も「なかまちアートプロジェクト」という部門でこのリンクのページから作品が見られます

(注意:「古都祝奈良」は10月23日で終わっています)

* 注:これはインターネット検索で再三現れる言葉の引用。「気配の痕跡」ってのがわかるようなわからないようなで、いかにも日本的? 

ところで今パレ・ド・トーキョでタロー・イズミという日本人男性作家が大規模な展示をしています。続けて取り上げた3人の女性作家の東洋的世界観でも村上などのオタク路線でもない、日本的なところを感じさせない不思議でダイナミックな作品に驚かされました。また書こうと思いますが先ずは推薦です。(5月8日まで)

最後に日本離れした私の心を揺さぶる修学旅行生の靴々々:これ自体で日本を表わすインスタレーションになってうるような、、、

















2017年2月12日日曜日

信じることの感動

前回の投稿(Where are we going?)を書いたすぐ後、引き合いに出した女性アーティストの内藤礼がパリのに日本文化会館で個展をしていると教えられた(全然アンテナ張ってないし公式ルートには縁がないので☺)。
さっそく会館のサイトを開いてみると、小さな稚拙な人形が原爆の熱風で変形したガラスコップで佇んでいる写真が出て来た。こんなことで原爆の悲劇と対峙できるのかなとかなり疑問、見に行くことないかとも思ったが、瀬戸内海の豊島の、床から湧き出た水がするするっと流れたり水滴となってコロコロ転がったり、水たまりに衝突したり、その振動で水たまりから新たな流れや水滴が生じでたりするのを眺めるだけのための美術館(大空間)という作品に多分生涯に見た全美術作品のなかで少なくとも5本の指に入るほど感動した私である、「あんな作品作ってしまうと後どないするの?」と思いつつ、16区に行く用事があったのでついでに行ったのだが、、、期待していなかったこともあってか(笑)、これがなかなか良かった。

彼女の作品は「聖域」作り。靴を脱いで灰色のフェルトが敷かれた会場に入ると、薄暗〜い。真ん中の白いテーブルを囲むように天井から見えない糸で小さな金属の球が幾つもぶら下がっている。こういうぶら下がり物が微動だにしないのは、時間が止まったような静けさを感じさせる。テーブルの上は3部構成で中央に例の「原爆モノ」があり、両側には小さな人形が点々と置かれている。3部構成のそれぞれの真ん中には一輪差しがあって、中央には縁日のように小さな電球が数珠になって吊られ、全体としては和らいだ公園の一景かのよう。日本文化会館のサイトにある写真を見た方がはやいと言えばはやいのですが、なんか全体の感じが写真では全然つかめない。。。(それが以上しつこく作品を叙述した理由)

これを「なかなか良い」と思ったのは文化会館の展示ホールを上手く「平和への願い」を表現した聖域化に成功していると思うから。でもそういう「虚構」が何になるかといえばおそらく何にもならない、ただ「信じることの感動」*以外には、、、


というのが私の見た感想だが、メガネを忘れて薄暗い空間では読めなかった会場のパンフレットを今となって取り出してみると、ただの金属球と思われしは鈴でかすかな音がするらしい(私は悲しいかな耳鳴りがあるので聞こえない)。それを吊るしていたのは透明糸ではなく白糸?(老眼の所為かな〜)。私の行ったのはパリの空がもう暗くなった6時過ぎだったが、日中は光に満たされるそうで、、、これだと全然違う印象を持つかもしれない。彼女はそういう「うつろい」を表現する作家なのだ。(だからまた行ってみますか)
コンセプトの面では、私の観察とは少し異なり「死者への悼み」がメイン。「死者も私のように現世に呼ばれ、我々はそれ以降に生まれた人と関係を結んでいるが、ある日我々も地上を去る」という言葉が書かれていたが、これはまさに私の前投稿の一言レジュメの「万物流転」。
「他者の死の忘却に対抗する芸術が、他者と生きる幸福を分かち合う芸術と一つに混ざりあう」という美しい言葉もある。私は彼女の声高に叫ばない曖昧な表現を芸術的には評価するのだが「本当にこれでヒロシマで亡くなった人たちの死の忘却に対抗できているだろうか?」とやはり思ってしまう。こういう歴史的悲劇の前では「芸術」は弱い。彼女の作品に被爆者の証言がカップリングされていたら補完しあって素晴らしい物になるのではないかと思うのだが、会場では私の空想する「証言者ビデオ」のかわり(笑)に豊島の美術館に関するビデオ**が流れていた。。。


*「信じることの感動」と思った展覧会タイトル(émotions de croire)は公式には(つまりおそらく作家の言葉では)「信の感情」だそうです。私の直訳より動詞のアクティブさがなくなり曖昧ですよね。
パリ日本文化会館にて3月18日まで

**豊島の美術館、あれはビデオで見てもね〜。解説に「豊島の美術館は建築が自然と芸術の境界を廃絶し、一つの同一の物とした場所です」という作家の言葉が書かれていたが、本当にその通りです。

この写真にならない展覧会の写真は「影響力膨大」なブロガーとして良い写真を送ってもらえるようメールアドレスを残しておきましたが、送られてくるかどうか? 来たらもう少し充実させますので乞うご期待

内藤礼の作品を初めて見たのは今調べてみると何と1993年に遡る。ロンポワン劇場の2階だったか(?)に白いテントが張られ、その中の様々な白いオブジェが並べられている空間に一人づつ(?だったと思う)誘われる「地上の一カ所」(une place sur la Terre)という瞑想空間的な作品だったが、彼女自身がいて案内するという以外、潔癖な「か弱さ」が際立って私にはあまり、、、その後画廊で見てもピンとこなくて、事実豊島へ行くまでは眼中になかったのですけど(笑) 

これで前述日本女性作家三傑の二人を書いたことになるので残るは宮永さんか、、、。 

2017年1月27日金曜日

Where are we going, Bernard?

先日映画を見に行ったら、予告編の後に「糸を絡ませた作品」で有名な塩田千春がわーっとスクリーンに現れてびっくりした。FBの知り合いにも教えてもらっていたのだが彼女が百貨店のル・ボン・マルシェ(LE BON MARCHE)で展示をしていて、その広告だった。最近では街頭ポスターもある。典型的な企業のイメージ戦略である。

「我々は何処に行くのか Where are we going?」というのが展示テーマだが、インタビューページを直訳すると「私たちの身体は(訳注:多大な情報量に)ついてゆけません。それが人生の真の意味を見つける機会に物事を一層複雑にします。私たちの帰属意識の本質にも影響する障害物できた人生を送っています。生活が豊かであればあるほど存在の目的、段階を理解することが難しいようです。私たちは人生の旅路を遍歴するのに紆余曲折しますが、何処へ向かうのでしょうか?」

 「我々は何処に行くのか?」というのは人生の永遠のテーマで文句ないのですが、今日何十隻もの浮かぶボートを見て、毎日地中海を渡ってくる難民を思い浮かべない人がいるだろうか? だが百貨店のページには「難民」も「な」の字もない。
ドイツ在住の塩田さんが現代社会の大問題を考えないとは思いにくく、故意に曲解すれば毎日流れる難民問題が人生の本質を思い誤らせる過大な情報の一つと取れないこともない。そしてこの展覧会に関しては「私は二つの体験、ショッピングを含めた日常の体験と、アートの体験を結びつけるアイデアが好きです」と続いていて、、、。
何かへんだなぁ〜、デパートの「検閲」でもあるのかと「下衆のエイゾウ」は勘ぐってしまうのだが、先ずは現物検証、買う物もないのに百貨店へ。

写真で見て「すごそー」と思っていた天井から吊るされた巨大なインスタレーション 、そしてトンネル***だが、ちょっと「あれっ?」という感じ。空間の大きさ、人の行き来を考えると当然だろうが、糸が太くて絡みが粗いような気がする。私が彼女の作品を初めて見たのは、今調べてみると2001年! パリ近郊のクレテーユ(Créteil)市で行われていたEXITという、ハイテク系アートがメインの、その頃かなりユニークで面白かった展覧会でだった。薄暗い回廊に細い黒い糸が張り廻らされ絡みあい、その蜘蛛の巣に捕われたようにベッドと机、椅子がポツンと置いてあった。病的とも思われる孤独感と寂しさがあり、かつ思索がこんがらがった時の自分の頭の中を覗いてしまったような気にさせる強烈な印象を受けた。ローマ字の作家名を見て、連れの日本人と「どっちかわからないけど(細かい技術と内省的なテーマから)絶対女性だよね」と議論したのを覚えている。その後大きなインスタレーションは、2010年の愛知トリエンナーレのチューブを使ったもの、2014年パリのタンプロン画廊で旅行鞄が吊り下げられていたものを見たが、「糸」のものは小品しか見ていなかった。

だから描いていたイメージに対して糸が太くて絡みが粗かったので「あれっ?」* そして周りの化粧品売り場のあっぴらけな華やかさに妙にとけ込んでしまっていたので、ダブルに「あれっ?」
この作品の軽さは???
結局、白くて無垢で天に向かう舟々は、やはり会場にあったパンフレットの「彼女の人生という旅への思い」の表れで、難民ボートなんてのは基本的には関係なく私の浅はかな詮索でしかなかったのだろうと結論。

概して「現代アート」では社会、文化、政治の「問題の提起」というスタンスを取るものが多いのだが、塩田さんに加え、宮永愛子、内藤礼、この3人の現在の日本を代表する作家が女性で今日の社会問題を越えた「万物流転」的テーマで現代アート作品を作っているのは、アートとしては真っ当だが広く見ると意外にジャポネーズの特殊性なのかもしれないと思いつつ、、、バーゲンセールでもと思ったが全然ショッピングは苦手で、、、

ボン・マルシェへ行ったのは本当に久しぶり(前世紀以来かも)。パン屋やピザ屋のように改装することなく参考投稿、昔のまま古い内装を生かし高級感を出して、お客にはなれないものの嬉しく思いましたが、実は「感」だけでなく、今や"bon marché"(安価)ではなく本当にハイクラスなのです(笑)。

(注:ボン・マルシェは1852年にアリスティッド・ブシコー(Aristide Boucicaut)によって創設された「百貨店の老舗」。当時では新機軸の「製品に値札を受けての定価販売」、そして薄利多売方式で大成功した。今の建物は基本的には建築家ボワローによる改築の1887年当時のもので、エッフェルも技術者としてそれにあたったと言われるが、仏語ウィキでは「それほどのことはしていない」らしい) 日本語ウィキもご参考に
ご参考に格調高き文具売り場

しかし女子店員に金持ちそうなおばさんが化粧品を試させている横にインスタレーションがあって、その他にも廊下に色々な作家の大きな絵がかかっていたりするのですが、何なんでしょうねこれは。やはり「百貨店がアートを利用しているだけで、ショッピングとアートなんて本質的には関係ないんじゃないの」というのが私の意見です。
でも塩田さんも一般的な知名度が抜群になるのは確か。そして今のボン・マルシェの経営はルイ・ヴィトン LVHM グループ。そのトップは芸術愛好家(?)の我が愛すべきアルノー氏**ですからね〜、「話はただの企業のイメージ戦略なんていう一筋縄の話ではなさそうですよ」と言うと「下衆エイゾウの勘ぐり」に逆戻りでしょうか?

**アルノー(Bernard Arnault)氏のことは以下の投稿をご参考に
2015年5月23日 身も心も
2016年4月11日 I ♥ Bernard


塩田千春さんの展示は2月18日まで。参考:ル・ボン・マルシェの展覧会ページ(ビデオ、制作中の写真もあります)。古い百貨店の雰囲気も日本の方には楽しめるでしょう。

***後記:インスタレーションのボートは150隻もあるそうです。それからトンネルの方は「海の記憶」という題。ビジターが波の中に入り込むように仕立ててあるそうで、テーマはますます難民にような???
 

以下2作はインターネットから拝借した作品
これは前回のベニスビエンナーレ(日本代表)で大評判になった作品

これが昔見たのに近いけど、クレテーユでは窓などない薄暗い閉鎖空間だった
*追記:昔見た黒糸は本当に細かったのか、黒い色だったからか? 16年前なので100%自信はありませんが、多分、、、




2017年1月17日火曜日

嫉妬深きはエイゾウ

Nさんがとうとう彼氏と結婚することになり、ウェディングパーティーに招いてくれた。趣向は彼女の友達の美術作家が担当するとかで、、、。

招待客がカフェ・テアトルのようなごく小さな円形劇場に入ると舞台にいた燕尾服の男優は黒い背広のポケットから何かを出したと思ったら、それはさーと白い十本の糸となって空をまたいだ。その糸は飛ばされた真っ暗な奥の方で白い羽となり、進むと床は草花が何百のホタルに照らし出されたかの様に光り、まるで銀河の上を歩くよう。ずーっと先の赤茶けた岩肌の崖の前にいた初老のデヴィッド・ボウイのような俳優が何メートルも地上から上昇して浮かび上がったと思ったら、口からはーっと長い白い煙を吐き出した。
驚きの連続、「ハイテクの舞台美術の人には負けるわ、悔し〜いぃぃ」と思ったら目が覚めた。つまり夢でした。

僕こういう風に夢の中で「すごいアート」をされて嫉妬して起きることがある。
現実の場合は、例えば名古屋トリエンナーレの記事で書いたデュクフレなどを見て「すごいなー」と感嘆しても嫉妬することなんてないし、フツウの美術の場合でも素晴らしい作品には賞賛するばかり。つまらない作品が評価されているのに「何で〜」と癪に障ることはあっても、この「夢の中の嫉妬」とは全く種類を別にする。
およそ人の創造性なるものは生まれ持ったもの+その人が培って得たもので、これに嫉妬するほど私も馬鹿ではないのだ。だが夢の中に出て来る人物はすべて自分の分身ということらしいから、これは自分が達成できない作品の。。。。

精神分析はアメリカ社会では茶飯事らしいが、パリでも意外に分析を受けている人が多くて、この前友人宅の十人ほどの会食者中、分析経験がない人は私だけだった。確かに集まった有識者の皆さんは私より病的に思えた(笑) 「英三も受けた方が良い」と逆襲されたが、今更ね〜。

会食者の中にもいたが、分析を受ける人にとって分析医が亡くなるのは大ショックらしい)。私は歯医者を「なくして」それなりにショックだったのだが、、、:20年近くの付き合い(?)のF先生が、治療中なのに私を見放すごとく年末で引退。一応若い先生にデータとともに診察所が引き継がれる。朝市のブレアにしてもピザ屋にしても、ある種「生活の指標」がなくなるのが不安原因だと思うのだが、分析医に関しては内密の話をすべて知っている人だから少し事情が異なるようだ。門外漢の私には、そんなに何でも知っている人は亡くなってもらった方が気が楽になると思うが。

前記の会食メンバーは有識・有産者階級だったが、美術家仲間で分析を受けているというのは聞いたことがない。制作自体がテラピーということもあるが、先ずは治療費が払えない。精神分析の功罪は兎も角、分析医は美術愛好家も多いので、治療費の1%でもアーティストに分配されているかもしれないと思うと、治療にも関らず有識・有産階級の悩みが容易に解消されないのは、それはそれでいいかと現金に考える私である。

今日の夢の話につけられる写真はありませんね〜。だから日本で撮った歯のパノラマ写真で。10月に日本で苦しんだ歯痛は11月に再発、「文字通り」奥深いものとわかり、12月の歯根専門医の治療、それに次ぐ最終治療はF先生の後任に3月に引き継がれることになった。3月というのはそれまで診療所の改装工事で、、、「そんなので大丈夫?」というのが私の受けた大ショックの一部でした。(参考)

2017年1月12日木曜日

英三アーカイブ

前回書いたように私の古いホームページが蒸発してしまった。これは90年代後半にベースを作り2011年まで作品が増えるたびにページを加えて、迷路的になっていたのだが、なんでも詰め込んだだけあって私自身には「資料の引き出し」としてとても便利だった。
しかし前世紀の無料ソフトを使っていたのでスタイルが旧態依然と言うか、フツウのサイトのスタンダードに入らないので「見にくい(醜い?)」という人も多く、これを機に全部作り直すかと思ったのだが、1日あれこれ考えて断念。私の場合作品のジャンルが交差しつつも飛ぶので上手いアーキテクチャーが浮かばない。かつこういう仕事って回顧的となって元気が出てこない。だから簡単に全部そのまま保存する手はないものかと色々模索してまた1日。
そして昨日、支障はあるにせよこれでいいかとヤフージャパンのサイトに一挙に古いコンピューターのデータをコピーし、英三アーカイブとしてまとめることにした。それはそれでリンクなど変えなければ全然機能しないのでまた1日Macの前で過ごした。

「できた!」と言っても昔に戻っただけだから疲れた〜。

アーカイブと名付けた割には8月に投稿した「30 years ago」どころか1995年より昔には遡れないから、その点まだまだ。。

写真は納屋から引っ張り出され、久しぶりに活躍した(?)Power Mac G4。偶然アトリエに来た人が見てびっくりしていた(笑)


2017年1月8日日曜日

年末は、諸行無常の響きあり

年末に久しぶりに美味しいピザが食べたくなって、カルチエ・ラタンの馴染みの店に向かったが見当たらない。1年以上は行っていないとはいえ「惚けて分からなくなった???」ということは絶対ありえないと、結局かなり大通りを歩いてしまった。気になって後で「検索」してみたらトリップアドバイサーに投稿があって、秋に新しいイタリアレストランとなったらしい、たしかにこぎれいにした店があった。
経験的に言ってピザのおいしい店は、壁にはナポリ湾とヴェスヴィオス火山などのイタリア風景がキッチュに、まるで日本の「風呂屋の富士山 」のごとく描かれているものだった。私もパリに着いた頃は、もう少しマトモな壁画にして欲しいなと思ったものだったが、そのうちにそれが「本物保証マーク」のように思えるようになって来て、、、。(勿論ひどい絵があるから美味しいとはまったく言えないのだが)

先日 FB経由でフランス人ジャーナリストの「原宿駅解体が示す日本的観光政策の大問題」という記事を読んだ。「日本らしい場所」に普通の日本人が価値を見いださないで改造してしまうということが書かれていたが、これはフランスでも起きていることで、パン屋さんが夏休みに工事していると思うと、昔ながらのタイルの壁がなくなり、日本のデパートか地下街のようなパン屋に生まれ変わる。同じようにチェーン店とその標準化されたショーウインドウのお陰で地方都市を歩く魅力がめっきり減ったことは以前にも書いた。

経営者が改装を決意する以上その方がよほど集客力があるに違いない。それに「お父さん、これじゃ商売にならないよ」と息子が親に言っている姿が目に浮かぶ。おそらく現代パリに仕事に集まるビジネスマン世代にとっては昔ながらの「ピザ屋の看板画」は「ださい」以外の意味を持たないのだろう。確かに12月最初のグループ展の後に行ったピザ屋もメニルモンタンという庶民地区にありながら内装はパブみたいで、若い人でものすごく賑わっていた。あーあ、いくら長年住んでも「パリジャン」にはなれない私だが、そのパリがどんどん変わって行く。この寂しさは何と表現したら良いのだろう。

いえいえ、でも私は希望を完全に捨てていません。日本と違ってこの国の改装工事は石膏ボードの壁をポンポンと立てて、多分古い壁をわざわざ壊すなどということまではしていないだろう。だから今の「機能的な店構え」の凡庸さに辟易としたあかつきには壁が壊され、「ヴェスヴィオス火山再登場!」なんてことは、、、やっぱりないかな?

年末になくなったものでショックだったのは、ピザ店以上に私の古いサイト!!! 「アルプスのちょっと良い話(不思議なえにし)」から他の写真を見せる為に飛んだところ「11月21日以来このページは閉鎖されました」と表示された。所有者の私にはプロバイダーから春に連絡があったことになっているが、受け取った記憶なし。多分「迷惑メール」として消えてしまったのだと思う。今の活動は新しいサイトで見てもらえるけど突然ウェブから「閲覧可能資料」がなくなったのはつらい。作り直すのかな〜?

フェースブックで、亡くなった人のページがあり続けるのが問題になっていたので、ディジタルデータは「雲の上」で永遠に存続し続けるのだとタカを括っていたら、人間の手のにる物、やはり諸行無常すね〜。

追記:典型的なピザ屋の壁絵を載せようとインターネットで探したが出て来なかった。時流に疎い私、ひょっとしたらあの店が最後の砦だったのかもと思わないでもない。という次第で写真はノスタルジックに、私が零歳当時のソフィア・ローレン(Photo:Raoul Fornezza)


2017年1月3日火曜日

謹賀新年

写真は兄の年賀状の為に描いた「マンガ」。毎年11月末頃に考えるのだが、今年は米大統領選があったのであっさり簡単に出来上がった。トランプ様々。
選挙前のトランプの暴言を聞いていて(程度の差はあれ)サルコジと似たところがあると思っていた。「追い風」だった頃のサルコジは「えっ、そんなひどいこと言って!」と私が思う度に人気が上がった。米国事情は全くよくわからないが、選挙直前の女性侮蔑発言の後でもトランプ支持率が40%ぐらいまでしか下がらなかったのを見てひょっとしたらと思ったら、、、やっぱり。

二人ともエリートが歴然と存在する欧米社会での「大衆の心をくすぐる術」を知っていた。
過去形で書いたのは他でもないサルコジが右派の大統領候補選びの選挙であっさり一時選挙で敗退したから。今回は同じように暴言を吐いたがそれで人気が上がることはなかった。当然のことながら「暴言作戦」など誰でもできるがそれを「得点」に変えられたのはその時の本人のカリスマ性にあるのだろう。
大衆のエリート不信による「代表制民主主義」の危機が問われる現在、その大衆が暴言でくすぐられる愚民でしかないとしたら(というか、ここは仮定法過去:今日の大衆は愚民でしかないので)、本当に世の中どこに進むかわからない。

前述の右派大統領候補選挙の結果はサルコジの元での首相だったフィヨンが経済的にはリベラル、観念的には超保守の路線で圧勝、歴史的な不人気を続けたオランド(昨年10月の世論調査では「満足」と「どちらかというと満足」を合せてが4%(sourceもやっと出馬を諦めて、「オランド対サルコジ」という恐ろしいシナリオがなくなったのを私は喜ぶべきだと思うのだが「もっと悪くなった」というのが左翼系の人の口を揃えた意見。
「無風状態より暴風雨の方が楽しい」と思うのは昔から台風好きの私ゆえなのか?

昔「喉をかっ切られるのだけはいやだ」と言って笑われていたのだが、フランスにいてもそうなる確率がある社会になってしまった。あと15年ぐらいは生きられると思うけど「収容所で凍死するのも嫌だな」なんてと思うと現実になりかねないので、「それもまた一興か」と思うよう、心を律して新年に望みたいと思います。

では皆様良いお年を


過去の関連投稿
2013年4月26日: 飛行場から
2014年6月9日: フランス大統領のスピーチ
2014年7月7日:サルコジが戻ってくる 1年後のパート2